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NEW!! オンラインゼミナール「印象派とは何か?」レポート!

 2020年10月10日(土)と24日(土)に、オンラインでゼミナールを開催しました。
 テーマは「印象派とは何か?」です。代表的な画家は、モネ、ルノワール、ドガ、シスレー、ピサロ、モリゾなどです。
 画面共有でたくさんの作品画像を鑑賞しながら、19世紀末に出現した"印象派"という現象について、皆で深く考えてみました。以下は、その要旨をまとめてみました(下線ワードをクリックまたはタップすると画像が出ます)。

 19世紀後半の西洋美術の中心はパリにあり、国の主催するサロンドパリという公募展に入選することが画家の登竜門でした。しかし、当時のサロンドパリは保守的な新古典主義が支配していました。新古典主義は、フランス革命後に君臨した ナポレオン が自らの権威を喧伝するために庇護した様式で、革命前のブルボン王朝が庇護した耽美な ロココ様式 に対する反動から来ています。主題となるモチーフは、神話や歴史や宗教に由来したものが最上位とされ、理性的で静謐な美学を追求しました。代表的な画家は、ダヴィッドアングル です。
 しかしながら、当時の世界情勢は、ロックやモンテスキュやジャン=ジャック・ルソーなどによる社会契約説を経て、個人の自由や主権在民などの啓蒙思想が次第に浸透し、芸術や文学にも反映されるようになってきます。また植民地支配と奴隷貿易と産業革命は互いに密接に関連し合いながら裕福な市民階級を生み出し、独立戦争や市民革命へと繋がっていきます。

 美術の世界では、教条主義的な新古典主義に対する反発から、個人や庶民の感情を劇的に表現したロマン主義が発生しました。フランス7月革命を題材にしたドラクロワの「民衆を導く自由の女神 」(1830年)や、ナポレオンのスペイン侵略を批判したゴヤの「マドリード、1808年5月3日 」(1814年)やターナーの「雨、蒸気、速度、グレート・ウェスタン鉄道 」(1844年)などが代表作です。また、クールベドーミエ は、理想的な世界ではなく、現実の貧しい庶民やエロスをありのままに描写し、写実主義と呼ばれました。
 一方、パリ郊外のバルビゾン村で、美しい自然や働く農民の姿を素朴に描いた テオドール・ルソーコローミレー はバルビゾン派と呼ばれ、自然主義とも言われます。1863年には、モネ、バジール、シスレー、ルノワールが皆で ミレーのアトリエ を見学に訪れています。屋外で制作したり自然を自らの印象で捉えるという手法は、彼らから影響を受けたものと思われます。
 また、1867年に開催されたパリ万博では、江戸幕府・薩摩藩・佐賀藩によって日本の「浮世絵」が出品され、ジャポニスムとしてセンセーションを引き起こします。浮世絵は輪郭線とベタ塗りで構成された平板で記号的な表現の木版画ですが、庶民の暮らしや美しい日本の風景が鮮やかな色彩で生き生きと描かれた作品は、西洋美術の価値観にはない新鮮なものとして受け入れられました。

 そのような中、パリにはアカデミー・シュイスやシャルル・グレール画塾という無名の貧しい画家でも学べる絵画教室がありました。そこで知り合ったのが、マネ、モネ、ルノワール、ピサロ、シスレー、バジールなどです。そしてやがて、バティニョール通りにあった カフェ・ゲルボア に定期的に集まって美学論議を交わすようになります。年長者のマネとドガが激しく議論を戦わす中、他のメンバーは静かに聞いていたと言われます。このメンバーのことを バティニョール派 といい、後の印象派に繋がっていきます。その後、カフェ・ド・ラ・ヌーヴェル・アテーヌ に移動しましたが、ドガはこのカフェ内をモチーフに代表作「 アブサン 」を制作しています。
 この中で フレデリック・バジール は、裕福な家柄だったので、他の貧しいメンバーを援助したり、バティニョール派のメンバーで自分たち独自の組織や展覧会を旗揚げしようと画策していましたが、1870年に普仏戦争で戦死してしまい後の印象派に名前を連ねることができませんでした。
 そして、1863年にエドゥアール・マネはサロンドパリに「草上の昼食 」を応募しますが落選し、落選展で発表されるとあまりの先んじた過激さから一躍有名になります。当時としては、女性のヌードは歴史・神話・宗教に基づくものでなくてはならず、普通の庶民のヌードは風紀を乱すとして激しく批判されたのです。一方で入選したアレクサンドル・カバネルの「ヴィーナスの誕生 」は、神話に基づいているが故に絶賛されたのです。マネは続いて「オランピア 」を制作し入選を果たしますが、やはり娼婦を描いたものとして多くの非難を浴びました。
 マネは、後の印象派展には一度も参加せずあくまでもサロンドパリにこだわり続けましたが、彼らの指導者的立場として、その反骨精神は印象派に最も強い影響を与えました。
 そのような中、1867年のサロンでバティニョール派がほとんど落選すると、いよいよ独立したグループ展を構想する機運が高まり、1874年4月に写真家 ナダールのスタジオ「画家,彫刻家,版画家などの美術家による共同出資会社第1回展」を開催し、このとき出品されたモネの「印象・日の出 」が新聞に「いいかげんな印象で描いた」などと揶揄され、後にこれがもとで"印象派展"と呼ばれるようになります。印象派展は、この後1886年まで8回に渡り開催されました。第8回展では、点描の技法を追求した スーラシニャック が招待され、"新印象派"と呼ばれましたが、これを最後に分裂と終焉を迎えます。

 印象派は、事物を主観的な印象で捉え、明るく自由な色使いで、色をタッチ(筆跡)で分解し、光の動きを捉えようとしました。戸外での制作を好み、日常の身近な風景や人々を素早く描きました。チューブ入り絵具や写真が普及し始めたことも関連する要因と言えましょう。
 そして、何よりも当時の権威だった古典的・保守的なサロンドパリのアカデミズムにおもねることなく、新しい自由な表現を果敢に追求しました。ここに、15〜16世紀のルネサンスから始まり約400年に渡って続いた西洋美術の写実的な古典様式は印象派の登場により衰退し、前衛的なモダニズムの時代が始まりました。
(ハラケンジ)

ゼミナール「モダニズムとポストモダニズム」レポート!

  印象・日の出/モネ 1872年↓

↑泉/マルセル・デュシャン 1917年  

 2019年12月15日(日)に、新栄の教室内でゼミナールを開催しました。
 テーマは「西洋美術におけるモダニズムとポストモダニズム」についてです。出席者は26人でした。
 ゼミでは、プロジェクターで各時代の代表的な作品画像を鑑賞しながら、15〜16世紀のルネサンスから始まり、17世紀バロック、18世紀ロココ、18世紀末〜19世紀初頭の新古典主義までの大雑把な流れを観たのちに、19世紀〜20世紀までの絵画を中心とした西洋美術のドラマティックな変遷を一気にたどり、モダニズムからポストモダニズムへの潮流の変化について考察し学びました。以下はその概要です。

 近代以降の西洋美術史では、モダニズムとポストモダニズムという二つの大きな流れがあります。
 19世紀前半のフランスでは、ナポレオンが擁護した新古典主義という保守的な様式を擁する芸術アカデミーが支配していました。それに対する反発から、ロマン主義や写実主義(自然主義)や象徴主義など、後の印象派が発生する土台となる反アカデミズムの動きが湧き上がってきます。
 そして、アカデミーが主催する官展である「サロンドパリ」への反発から、1874年に独立して立ち上げられたのが「印象派展」です(モネ、ルノワール、シスレー、ドガなど)。
 そして、この印象派の登場をきっかけに様式は劇的に変化し始め、15〜16世紀のルネサンス以降約400年間続いた写実的・古典的なアカデミックなスタイルが崩壊していきます(→モダニズムの始まり)。
 その後、後期印象派(セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンなど)では遠近法や立体感から解放され、フォービスム(マチスなど)で色彩が自由になり、キュビスム(ピカソ、ブラック)で具象性が解体され、青騎士(カンディンスキー)やデステイル(モンドリアン)やシュプレマティスム(マレービチ)では完全な抽象化に到達し、1950年代のアメリカを中心とする抽象表現主義からカラーフィールドペインティングを経て最小限の表現たるミニマリズムへと終結していきます。
 一方、1913年にニューヨークで開催された国際美術展の「アーモリーショー」で発表された「階段を降りる裸体No.2」で一躍有名になったマルセル・デュシャンは、1917年の便器を逆さまにしてサインしただけの作品「泉」によって、美術は表面的な様式よりも内包する概念やアイデアを重視するというパラダイムシフト(価値観の革命的変化)に向かうことになります(→ポストモダニズムの始まり)。
 無意識の精神をオートマティックに表現したシュルレアリスムも、内面的な観念やアイデアを重視する流れと言っていいでしょう。
 そして、1960年代に入ると、モダニズムの終着点とも言えるミニマリズムへの反動から、ジャンクアートや既成のイメージを用いたネオダダやポップアートが出現し、高尚な芸術とは真逆のサブカルチャーやキッチュ(安っぽい俗物的なもの)なイメージもアートとして認識されるに至ります。さらにパフォーマンスや映像などによるポリティカルな問いかけのみで、物としての作品が存在しないコンセプチュアルアートが隆盛を極め、現代に至ります。

 モダニズム(=アヴァンギャルド、前衛)とは伝統的なアカデミズムからの反発であり、表層的な様式を発展させ過去の様式を否定しながら普遍的・絶対的な美学を追求してきた歴史であると言えます。言い換えれば、抽象化・純粋化への道のりであったとも言えます。
 これに対して、ポストモダニズムにおいては、作品の表面的な美学よりも内在する概念を重視し、キッチュなものも含めて雑多な形態や多様な価値観を許容し、曖昧でオリジナリティーが希薄であり、その表現はポリティカルな主張や問いかけの手段にもなっています。
(注釈:美術史観には多くの諸説があり、これらはあくまでも私の個人的な研究に基づく見解です)

 ゼミ終了後は、伏見のリリーバンケットさんというお店に移動し、忘年会を開催しました。
楽しく語らいながら食事をし、私とミュージシャンの畔柳さん二人でミニライヴも行いました。今回は初の私のオリジナル曲も披露しました♪

   椅子席と床に畳をしいてぎっしりでした

忘年会は立食でバイキング  

   なごやかな雰囲気のpartyでした

最後は演奏会で締め♪  


「長良川鉄道・郡上八幡スケッチ撮影旅行」レポート!

   長良川鉄道大矢駅↓

↑ 古びた木造駅舎の前で  

 2019年 11月3日(日)に、岐阜県のローカル線"長良川鉄道”に乗って郡上八幡まで日帰りでスケッチ・撮影旅行に行ってきました。
 朝9時半に岐阜県の美濃太田駅に集合して、皆でディーゼルカーの気動車に乗り、のんびりローカル線の旅を楽しみました。長良川沿に走る車窓からは、美しいのどかな風景が広がり、約1時間で第一の目的地である大矢駅に到着しました。
 大矢駅には古びた木造駅舎が残っていて、待合室の横では昔使われた道具や看板などが展示されていました。そこで約1時間半スケッチや撮影をしました。
 次の列車で郡上八幡駅まで行くと、まずはランチの”蕎麦と飛騨牛自然薯丼”で腹ごしらえをし、情緒豊かな城下町を散策しながら古いお寺で再度スケッチ撮影会をしました。

 車窓の下に流れる長良川 ↓

↑ 蕎麦と飛騨牛自然薯丼  

 郡上八幡の街並 ↓

↑ やなか水のこみち  

 帰りは土産物屋に寄った後、”吉田川の新橋”や”やなか水のこみち”を見物してから再び長良川鉄道に乗り、郡上八幡駅からすぐの深戸駅で下車してそこで日が暮れるまで最後のスケッチ撮影会をしました。

 これまでの野外実習では、一日がかりでこれほど遠方まで出かけたことはなく初の試みでしたが、雨も降らず無事に予定どおり終わってほっとしました。
 新栄の教室に戻ったら午後8時でぐったり倒れそうでしたが、何とも心地よい余韻と充実感が残りました。

 郡上八幡吉田川の新橋から ↓

↑ 長良川鉄道深戸駅  

「のら猫同盟展#20」レポート! 

   搬入作業の一幕↓

↑ 案内状(画像クリックで拡大)  

 2019年 8月13日(火)〜8月18日(日)に中区の名古屋市民ギャラリー栄で、教室展「のら猫同盟展#20」を開催しました。44人の作者が63点の作品を展示し、絵画や写真や立体オブジェなど、様々なスタイルや技法の作品が会場いっぱいに並びました。

 "のら猫同盟展"は、1999年の第1回目から数えて本展でちょうど20回目を迎えました。
多様な価値観が存在する今日の美術において、美術をどのように学んでいくのがよいのかは非常に難しい問題です。
 美術は、先人の積み重ねによって時代とともに発展してきました。何かを表現することは、人間が本来持つ欲望であり、自発的なものです。プリミティブな発想や思考したことを形にして、何かを誰かに伝えようとするのが美術の原点かもしれません。
 今後も、過去の伝統から学びながら美術における基礎とは何かを問い続け、最新の現代アートにアンテナを張り、日々試行錯誤と研鑽を続けながら、独自の美術教育を模索して参りたいと思います。

 今回は、初めて栄の市民ギャラリーでの開催となり、勝手がわからない中でもギャラリースタッフの方々がとても親切で、今までで一番やりやすい施設でした。
 また搬入日が祝日だったのも初めてで、参加者が搬出と半々ぐらいに分散したのも好都合でした。パーティーも前夜祭と打ち上げで半々に別れ、新しいアトリエ内でアットホームな雰囲気での交流会になりました。
 搬入・搬出作業や会場当番など、積極的にお手伝いくださった生徒さんには、あらためて感謝申し上げます。そして、わざわざ貴重なお時間をさいて展示会場にお越しくださったお客様、本当にありがとうございました!!
(ハラケンジ)

 フィルムから現像引伸したモノクロ写真 ↓

↑ 陶芸作品とのコラボ  

講師の作品(画像クリックで拡大)↓

↑ 打上では軽音楽部のライブも  

「定光寺 野外実習&ランチ会」レポート!

右手は廃墟となった旅館です↓

↑庄内川の河原でスケッチや撮影

 2019年4月7日(日)の朝から、瀬戸市の"定光寺公園"で「野外実習(スケッチ&撮影会)」を開催しました。

 JR千種駅からわずか23分で定光寺駅に到着すると、眼下には庄内川の流れる渓谷が広がり、圧巻の景観に目を奪われます。川水の色は綺麗なエメラルドグリーンでした。
 絵画教室も写真教室も「風景の中に人物を配置する」という共通のテーマに添って、ユトリロ、ボナール、アンリ・ルソーなどの参考作品を観た後で、スケッチや撮影に取り組みました。
 後半は坂道を約20分登りきったところにある公園に移動して、満開の桜などをモチーフに同じく課題をこなしました。穏やかな日差しの中、池の水面に映り込む桜がとても優美に輝いていました。ここは人が少なくてけっこう穴場ですね。

 終了後は公園近くのカフェで、"ランチ会"を行いました。鉄道模型のジオラマがある部屋を貸切にして、皆で絵や写真を見せ合うなどして、和やかに食事を楽しみました。
 今日は坂道の移動などけっこう体力も使いましたが、みなさんすっかり打ち解けて大変充実した一日となりました。

橋を渡ってぞろぞろ移動中↓

↑ランチ会では生徒さんが個展のお知らせも

「12/2ゼミナール&忘年会」レポート!

  今日は特別に子連れの方も?↓

↑なぜかみなさん笑ってます  

 2018年12月2日に、覚王山のアトリエ内で、「絵画と写真の関係」というテーマでゼミナールを開催しました。覚王山の教室としては、最後のイベントになりました。以下は内容の要旨です。

 西洋美術においては、絵画は密接に写真の影響を受けて発展し、写真もまた絵画の影響から発展してきました。 ゼミでは、まず現代のカメラのもととなった”カメラオブスキュア”(カメラオブスクラとも言います)について、私の自作した模型を見ながらそのしくみについて理解し、どのように進化してきたかについて学びました。 もともとピンホールをくぐり抜けた光が逆さまの画像をつくることは、かなり古代から知られていましたが、16〜17世紀にピンホールの代わりに凸レンズが使われるようになると、たくさんの光を集めることができるようになって、格段に明るく鮮明な画像が得られるようになりました。そして19世紀に入ると画像を化学変化によって記録する技術である"感光フィルム"が発明され、急速に写真は現代のような進化を遂げました。

 西洋美術史では、14〜16世紀のルネッサンス期に遠近法と古典的な写実技法が確立されたのは、カメラオブスキュアの発達と密接に関連していると言われています。
 この時代の画家の中には、この道具を使って画像をトレースしていた可能性があると考えられます。画家はフィルムのような役割を果たしていたのです。西洋では、写真のない時代は油絵が写真の代わりとして肖像画などを残してきました。
 ところが、19世紀に入ってニエプスやダゲールらが、画像を化学的に定着させることに成功すると、瞬く間にフィルムが発達していきます。写真の普及で、画家は写真のように絵を描く必要がなくなり、印象派やキュビスムなど自由で前衛的な表現が現れる一つの要因となりました。
 写真は、絵画を機械的に生産することから始まりましたが、画像を絵画的に作り込む”ピクトリアリズム”という流れと、写真の速写性を活かしてあるがままにリアリズムを追求する”ストレートフォトグラフィー”という二つの大きな流れがあります。

 以上のような内容を、ルネッサンス以前の中世からバロック、ロココ、新古典主義、ロマン主義、印象派などの作品画像や、現代アートの写真作品などをプロジェクターで鑑賞しながら話を進めました。

 終了後は、近くの「カフェ・ドリトル」さん貸切で忘年会を開催し、軽音楽部のバンド演奏などもあって大いに盛り上がりました(^^)!!

   酔って候〜

たくさん撮ってもあまり変化なし  

「豊田市民芸館 野外実習&ランチ会」レポート!

まずは、いくつかの資料館内を見学しました↓

↑かわいい民芸品に思わずほっこり

 2018年9月23日(日)の朝から、豊田市平戸橋町にある"豊田市民芸館"で「野外実習(スケッチ&撮影会)」を開催しました。

 まずは、せっかくですから園内のいくつかの資料館や建築を皆で見学しました。
 第一民芸館は、日本民芸運動の創始者である柳宗悦(工業デザイナー柳宗理の父です)が東京に創立した"日本民藝館"の一部が、昭和58年に移築復元されたものです。民芸品とは、日常使われる地域の大衆的な手工芸品をさします。入館は全て無料です。  →豊田市民芸館

 野外実習に戻り、本日のテーマは絵画も写真も共通で「近景と遠景を組み合わせた奥行きのある構図を考える」です。いくつかの参考写真を見て、イメージを膨らませてから、それぞれモチーフをさがして自由に園内を散策しました。
 ここは、自然がとても豊かで、古い洋館や茶室の他に、近くには勘八峡という古くからの景勝地もあり、スケッチや撮影には最適なところでした。

 終了後は、豊田市駅近くのお店でランチ会をしました。完全個室のお店でしたが、大きな個室がないのでいくつかの部屋に別れてしまいましたが、とても雰囲気がよく料理も美味しくて素敵なお店でした。
 豊田市民芸館とセットでお薦めしたい場所です…(^^)  →満兆 豊田店

本日のテーマについて説明中↓

↑ランチ会ではすっかり打ち解けました(^^)!!

「名古屋港夜景撮影会」レポート!

まずは夕焼けや月をバックに、ポートレート撮影↓

↑夜景が一番美しいトワイライトの時間帯です

 2018年8月19日(日)の夜に、"名古屋港ガーデンふとう"で「夜景撮影会」を開催しました。

 まずは、夕焼けの露出の合わせ方の説明を聴き、そこに人物を置いてストロボ(フラッシュ)を発光させる「日中シンクロ撮影」を練習しました。この日はちょうど綺麗な半月が出ていましたので、月をバックに同様に撮ってみました(写真2枚目)。
 そして、日没後のトワイライトは、夜景が最も美しく撮れる時間帯です。真っ暗になる直前の短い時間を逃さず撮影しました。

 夜景撮影は、ISO感度を低くして三脚を使うのが基本です。日中の撮影とは勝手が違うので最初は難しく感じますが、少し慣れて上手く撮れるようになると夜景は本当に楽しいですね!
 また、スローシャッター(1秒〜10秒ぐらい)の中でストロボをたく「スローシンクロ撮影」で、ペンライトを使って文字や絵を描いたり、人物を幽霊のように透明にしたり、手持ちでバックの光をわざとぶらす撮影などもたくさん練習しました。いずれもカメラに付属しているストロボを上手く使うことによって、夜景をバックに人物をぶらさず明るく撮ることができます。

 この日は盛りだくさんの内容でつい夢中になり、気がつけば時間が大幅に過ぎていました…(^^;)

 ↓ ペンライトで絵も描けます

↑ 最後はスローシンクロで集合写真

詳細な内容はこちら→

「のら猫同盟展#19」レポート!

講師の作品(画像クリックで拡大)↓

↑展示風景(画像クリックで案内状に) 

 2018年 7月3日(火)〜7月8日(日)に名古屋市民ギャラリー矢田で開催しました「のら猫同盟展#19」は、おかげさまで無事に終了しました。
 62人の作者が93点の作品を展示し、様々なスタイルや技法の作品が壁面いっぱいに並びました。

 のら猫同盟は、この秋の11月1日を持ちまして創立20周年を迎えます。これまで支えて下さったたくさんの生徒さん、並びに関係者の方々には、心から感謝申し上げます。
 今後も、美術を深く追求し、新しい課題や企画をご提案し、皆様が絵画や写真を楽しく学び続けられるよう、個々のニーズを汲み取りながら教室のあり方を考え改善していきます。皆様のお役に立てるよう、日々研鑽を重ねて参ります。
 今後とも、宜しくお願い申し上げます。


 今回の展示は、"20周年"と言っても特に明確な共通課題等は設定しませんでしたが、漠然と「私の大切なもの」というゆるいテーマを掲げていました。
 搬入作業は前代未聞の少人数でしたが、皆で団結してスピーディーに会場作りを行いました。搬入後の前夜祭パーティーも少人数でしたが、手料理が並んでアットホームな雰囲気でした。
 今回特筆すべきは、転勤で通えなくなり四国の香川県から一人で8点も出展された生徒さんです。その意欲と努力には深く敬意を表します。
 打ち上げの懇親会では、恒例の"軽音楽部"の演奏を行いましたが、部員がけっこう増えて賑やかなバンド編成になりました。

 参加された生徒さん、本当にお疲れさまでした。出品できなかった人は、次回こそはぜひ頑張って出品なさって下さい。
 搬入や会場当番など、積極的にお手伝い下さった生徒さんには、あらためて感謝申し上げます。
 そして、わざわざ貴重なお時間をさいて展示会場にお越し下さったお客様には心から御礼申し上げます。
 みなさん、有難うございました!!
 (はらけんじ)

 ↓ 搬入作業の一幕

↑ 打上パーティー集合写真

 ↓打上パーティーでは、"軽音楽部"のライヴも

↑ 最終日の記念写真  

「やきもの散歩道スケッチ&撮影会」レポート! 

  まずは朝のごあいさつから

遠足気分で楽しくお散歩   

 2018年5月6日(日)午前に、常滑市の「やきもの散歩道」にて、"スケッチ&撮影会"を開催しました。GW最終日のせいかほとんど混雑もなく、スケッチや撮影には絶好の爽やかな五月晴れのコンディションとなりました。

 まずは、陶磁器資料館前に集まり、散歩道のコースを皆で散策しながら登窯広場に到着。そこからは各自自由行動で、約2時間思い思いのモチーフを探してスケッチや撮影をしました。
 終了後は、予約したお店で"ランチ会"をして、皆でまったりと語り合いました(^^)!!

 「やきもの散歩道」は、古い煙突や登り窯や土管坂など、なかなか風情のあるいい場所でした。私は15年ぶりぐらいに訪れましたが、以前にも増してお洒落で魅力的なスポットに変貌してるような気がしました。遊園地のような人混みよりも、こちらの方が断然好みですね。
 名古屋からは電車でも車でも行けて入場料もかからないので、スケッチや撮影には絶対お奨めです!(原)

  注意事項を説明して、それぞれスタート!

"土管坂"で撮影   

 お腹がすいたので、皆でランチのお店へ…

お腹いっぱいになったら、眠いんだなぁ… 

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